「気づいた人がやる」は害悪でしかない話
ゲームの開発中には、たくさんの予期せぬ問題が発生するものである。
策定した仕様が他の仕様と矛盾していたり、突如、新たな仕様を策定する必要が出てきたり、致命的なバグが発生したりといったことである。
そして、それらの問題を解決するにあたり、様々なタスクが発生する。
そのタスクの担当を決める際に、その問題に「気づいた人がやる」という実に日本的な悪しき習慣にもとづいているプロジェクトが未だにある。
今回は、「気づいた人がやる」という方針がいかに害悪があるかを考えていく。
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害悪①:気づいている人に仕事が集中する
問題に気づいた人ばかりがどんどん新たな仕事を抱えることになり、気づかない人に仕事がまわらなくなる。
気づく人にタスクが集中した結果、タスクがうまく分散されないことになる。
忙しい人と暇な人がいるプロジェクトが異常であることは明白である。
仕事の絶対量が少ない人間にタスクをふるのが当たり前で、「たまたま気づいたから」という謎の根拠によりタスクがふられるのはまったく解せない。
害悪②:得意な人が対応できない
人には得意、不得意がある。「気づいた人がやる」メソッドを採用すると、適正がない作業をする作業者が多くなる可能性がある。
ある問題を解決する ために、αというタスクが発生したとする。その問題に気づいたAさんが対応するよりも、αが得意なBさんが担当した方が仕事が早く終わるといった事態が発生することは余裕で想定できる。
害悪③:やらかしている人間が成長しない
問題に気づいた人が解決に乗り出してしまうと、問題を起こした張本人が問題に向き合うことなく事態が収束してしまう可能性がある。
結果、問題を起こした人は、同じ様な問題を繰り返すような仕事の仕方をしてしまうのである。
害悪④:「気づく人」はいなくなる
「気づいた人がやる」メソッドの採用は、気づける人に対する負担が大きくなるシステムある。気づいた人は、どんどん不満を抱く。そして、「気づく人たち」が去ったプロジェクトや会社は、「気づかない人」の精鋭揃いになっていくのである。
まとめ
「気づいた人がやる」とは一見、素晴らしい標語のようだが、プロジェクトを運営する上ではデメリットが大きい。
「気づいた人がやる」メソッドを採用しない場合は、その問題を解決する担当を決める必要があり、それなりのコストが発生する。
だが、上記の様な害悪が発生することを思えば、それくらいのコストは安いものではないだろうか。
※この問題の対策を書きました。(18/2/5)
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